区画文

 多くの縄文土器には区画模様が組み込まれています。
 縄文時代中期の勝坂式土器が出土する地域で暮らしていた人々は、母胎から命が生まれることは、土から命がはぐくまれることと同じことであり、母胎=畑という考えを持っていたと述べてきましたが、はたして区画模様をそのまま畑と解釈していいのでしょうか?
 もし畑の畝(うね)の跡などが見つかっていれば、区画文と畑が大いに関連性があると考えられるのですが、現在のところ見つかっていません。だからどのような形態の農耕が展開していたのかまだはっきりわかっていないのが現状です。
 しかし、なぜ区画文を畑と考えるのかというと、土器の模様の中には玉抱三叉文の円孔や渦巻三叉文の渦巻の部分を区画文と入れ替えたと思われる例があるからです。
つまり玉抱三叉文や渦巻三叉文が示す「母胎」は区画模様と密接な関係にありそうだということなのです。さらに近年になって農耕が存在したことを示唆するような大豆や小豆などが縄文の遺跡から当たり前のように見つかり始めていることを考えると、土器全体が区画文に覆われていたり、部分的に配置されている場合も含めて、農耕・栽培に適した一定エリアを区画模様で表現している可能性が高いと考えます。
 区画文に玉抱三叉文を組み込んで、出産した状態と収穫した状態をオーバーラップさせて表現したり、渦巻三叉文を組み込んで妊娠している状態と作物の成長をオーバーラップさせて表現するなど、彼らの生活をささえていたものは、狩猟採集よりもむしろ農耕に比重が置かれていたのではないかと思われます。

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