新潟県卯ノ木遺跡 高24.5cm
山形の文様は耕作された大地にびっしりと茂る栽培植物を抽象化して表現している。楕円文はぎっしりと実る穀類を表現している。豊かな成長と実りが大地を埋め尽くさんばかりに輝いている。
しばらく凝視していると動き出すような錯覚さえ起こさせる迫力をもっている。土器の製作者の心豊かな感性と情熱が一体となった早期の文様の最高傑作の一つである。 「畑に豊かな実りあれ。」その祈りと情熱の結晶である。
長野県富士見町篭畑遺跡
縄文時代前期の末にはいると、ボタン状の突起文様が登場してくる。 前期中頃まで多様なボタン状突起が使われるが、末頃になるとペア、さらに発展して「重ねボタン状突起」に発展してゆく。
背景文様が大地と焼畑を表し、ボタン状突起が種子である。その種子の間から成長する栽培植物が刻まれている。土器全体が畑の豊穣を祈願しているというのがこの土器の解読である。
『芽を出し 伸びろ そして天まで育て』
水平平行線文で表現された水界に二枚貝を配置して、斜め・垂直の平行線文で表現された陸界(焼畑)に、重ね合わせた種子を配置する。
水産物と陸上食用植物から2枚貝、種子を代表的モチーフとして選び、バランスと統一のとれた土器をデザインしている。 海の幸・山の幸がこの土器に盛られ、お供えとして置かれている光景が想像できる。クリックして展開図も見てほしい。
長野県茅野市尖石遺跡
高39cm 九兵衛尾根U期
蛇が土器の口縁部に配置され、波打つ縄文が胴体部分を取り巻いている。
日本固有種のねずみに畑ネズミ(ハタネズミ)がいる。低地から高山帯まで広く分布し、農耕地・植林地・河川敷・牧草地など草原的な環境を好み、緑色の草本や野菜の根茎を食べている。時として爆発的な異常発生をし、現在でも農作物に大きな打撃を与えることは案外知られていない。
蛇は野ネズミの数をコントロールする天敵である。毒という神秘の力、そして強靭な生命力。
蛇は畑・大地の守護神として胴体である大地を守っている。
縄文時代中期の中部地方を中心とした土器にもっともポピュラーな文様は蛇である。
蛇が土器の底から立ち上がり、口縁部に把手としてデザインされ、円と三角を取り囲んで頭部をもたげている。このように円文と三角文がペアになって構成された文様が非常に多い。
武居幸重は単独の円は雌、単独の三角は雄を意味すると解読している。
「縄文人は雄の精霊と雌の精霊がペアになって世界が出来ていると考えている。」
その解読にしたがって土器を見る時、そこに縄文世界が現れる。
縄文時代の中期に入ると、縄文文様は突如として複雑になり、文様を構成する要素も多種類となる。集落も大規模になり、同一区域に密集して住居がつくられるようになってくる。遺跡数も桁違いに多くなり、一つの住居の土器の数も種類も多くなってくる。まだエジプトでは王朝時代は訪れていない。それほど縄文時代は古い時代なのだ。
いったい縄文時代前期と中期の境の時間帯で何が起こったというのだろうか。そして何故縄文文様は突如として複雑になったのだろうか?
考古学に詳しい人間であれば誰でも知っているこの事実。しかしこの謎は未だに誰にも確定的に解明されてはいないのだ。
『前期までは焼畑農耕を生活基盤としていた。 火をかけて焼畑をつくると数年で収穫が激減する。彼らはそこを放棄して次々と新しい土地を焼いて畑を作り、30年か40年後にはじめの土地に戻って焼畑をつくるというサークルで集落の周辺を作りまわっていた。中期に入ると、彼らは施肥を行って同じ土地を繰り返し耕作するという有機農耕に切り替えたのだ。』(縄文のデザインより)
肥料を作り、それを畑に入れて生産を安定させる。結果として同じ土地に長く住み続けることができるようになる。有機農耕論である。長野県八ヶ岳山麓の縄文時代の遺跡周辺から発見されるロームマウンド(中心に赤土が含まれ、その周りを黒土の層が取り巻いている土盛り)から、縄文時代中期の集落ではすでに日常的に肥溜めを使った肥料製作を行っていたのではないかという推論は見逃せない。 食糧確保のための農法革命が起こったのではないか? 物理的にそれが証明される日が待たれている。
この土器の武居幸重の文様解読である。広い範囲に整備された畑と水路が表現されている。斜め線で表現されている畑は、同じ作物を広い範囲で育てていることを表現している。 畑の縁が内側に食い込んでいる形は『交合(和合)』を意味する。この文様解釈は『大地との交合(和合)』である。守護神の蛇の形は一見どこにも存在しないように見えるが、底から立ち上がる縄文が口縁部でわずかに盛り上がっていて、存在はあるものの、土器の使いやすさを考えて蛇の頭の部分だけを省略している。
苦労して整備した畑は重要な私有財産である。土器文様はその所有権も強く主張しているのだ。
畑全部にイモを植えたとしよう。もし今年、そのイモが不作だったらどうだろうか。
それを主食として食べて生活しているのなら飢えてしまう。だから色々な種類の作物を植えて食べる分を確保するのだ。その他に畑を整備し、より広い範囲からさらに多くの作物を収穫する。 食うや食わずの生活とは別次元の交換・交易がすでに縄文時代中期に存在していたのだ。
この土器の整然と区画された畑文様は、雑穀農耕がすでにその段階に発展していたことを示しているという。 口縁部分には蛇と他動物を重ね合わせた文様、さらに円文2つの連結した文様は蛇同様ネズミの天敵ミミズクやフクロウを抽象化したものであり、 畑の区画にある渦巻きはペアで配置されていないため、この場合「豊かに実る」意味であると武居幸重は解読している。