エゴマというものが縄文の遺跡からたびたび見つかっていることは知っていた。しかしゴマごときが主食になりえるとは思えない。
ところが、2015年12月に、富山県の小竹貝塚の6000年前の土器にエゴマが練りこまれていたというニュースが流れた。山梨のダイズ土器や長野県下伊那郡のアズキ土器のように、近年の発見で土器に食物を練りこんで焼くことが、ごくごくまれというわけではないということがわかってきた。そこにもってきて直径24cm高さ24cmぐらいの土器に、両手にほぼ1杯のエゴマが練りこまれて焼かれたというのだ。
土器の大きさに対してエゴマは結構大量に混ぜ込んであるなあ。きっと土器を焼くときはゴマの香ばしい香りがしただろうとか呑気な想像をしていたが、エゴマについて少し調べてみると非常に実用性のあるものということがわかった。
エゴマはゴマという名前がついているけれど、紫蘇とほぼ同種のもので、ゴマとはまったく別のものらしい。葉も種子も食用になり、特に種子はαリノレン酸という成分が豊富に含まれているらしい。これは体内で分解されるとEPAやDHAという青魚に含まれている成分と同じものになるから、今の健康食やサプリメントブームの中でも話題になっているようだ。
そうか、青魚が食べられなかった内陸では上質の食料だったろうなあ。またまた呑気に考えていたところ、エゴマの実用性はそれだけではなかった。
エゴマの実には40%ほど油が含まれていて、絞ると油がとれる。この油は灯具用の油として室町時代の終わりごろまで使われていたらしく、他にも塗料、防水剤、油紙、和傘、提灯など、菜種油が流通するようになるまで使用されていたというのだ。
そんなエゴマを大量に土器に練りこんで焼いたのはなぜだろうという本題。
燃やすことが目的ならそのまま火中に投じればいい。練りこむことで土器の強度が上がったりするという実用面があるのかといえばそういうことはまったくない。むしろ強度は低下し、実用性は下がる。でも練りこんで焼く。土器を焼くために大量の薪を使用して焼く。なぜか。
彼らは、一見無駄な行為をしているように見えるけれど、それは彼らにとっては大真面目で不思議でもなんでもない普通の行為だったはずだ。なぜなら、土器を焼くという行為は、命を育てる畑であり母胎である土を使って土器という形を固定化する行為だった。現代風に例えれば、忘れてはならない情景を写真に収めたり、願いを込めて彫刻したりするのと同じこと。大地にエゴマがたくさん育ちますように。そう思って土器にエゴマの種子を撒いて混ぜて練って焼いた。ヒジョーにふつうのことで、別に無駄にもったいないことをしたわけではなかったのだろう。 彼らの生活の中では、エゴマやダイズや小豆というものが確実にランキング上位にあったはずで、その理由は実用性も含めて必ずあるのだと思う。
エゴマはただのゴマ程度のものではなかったのだ。