勝坂式土器は意味不明な模様や造形だらけです。意味不明であればそれを作った人々も意味不明な人間だったのではないかと思ってしまいがちです。しかし、私たちにとって意味不明に見えるのは、造形が何を表しているのか、どのように使われているのかというルールが分かっていないだけだと思います。
 
 この土器は山梨県笛吹市釈迦堂遺跡の土器です。土器の口部分から立ち上がる4本の見事な把手(とって)に目を奪われます。滝壺にわきあがる水煙をイメージして水煙文土器と呼ばれています。

山梨県笛吹市釈迦堂遺跡 水煙文土器

 この4つの把手の中には、フクロウの造形が組み込まれていると考えています。まずこのアングルから見ていきましょう。この中にリアル系のフクロウの造形がいくつかあると思うのですが、おわかりになりますか?

フクロウの記号は4つあると思います。

 たまたま、この角度から見たときにフクロウの顔に見えるだけじゃないのか?
 目の錯覚や思い込みでそう見ようとするからそう見えるだけじゃないのか? そういうご意見もあると思います。もちろんそれを否定するつもりもありませんし、偶然そう見えているだけかもしれません。

 しかし、この土器には偶然ではないと思われる点があるのです。
 この画像の角度から渦巻三叉文(女性・妊娠を表すとこのサイトでは考えています。)と、女性自身(女性・出産を表すとこのサイトでは考えています。)がちょうど正面に見えます。この2つのマーク(記号)は、この位置に立った時だけ両方が見えます。つまり作者はこの土器を見る角度を意識して作っていて、そうであるならば角度によってはフクロウのように見える造形を作っている可能性も高いのではないかと考えるのです。


 フクロウに見える造形の頭の上にはひも状の造形がついているのですが、角度によっては蛇の頭部分やとぐろを巻いた蛇ようにも見えます。この土器は角度によってはフクロウ(女性や母を意味する)と蛇(男性を意味する)のセットで『男女が愛し合う』という意味を表しているのではと考えています。

 
 それではアングルを変えて見てみましょう。向かって右側の把手が正面に来るように反時計回りに移動します。先ほどのように妊娠や出産の記号らしいものは見当たりませんが、やはりフクロウに見える造形が3つ現れます。


 次のアングルに移動します。ここから見ても4つフクロウに見える造形があります。

 最後のアングルからも3つのフクロウに見える造形があります。

 次の画像のような複雑な造形も、オスとメスのフクロウがつがいで寄り添っているように表現されていると推定します。つまり、フクロウの造形を借りて男女が愛し合っている状態をオーバーラップさせて表現しているのではないかと思います。

 記号の意味から考えると、この水煙文土器も今までご紹介してきた土器や土偶と同じ『男女が愛し合って、妊娠して、出産する』という意味になります。


 

 次にご紹介するのは長野県茅野市下ノ原遺跡の土器です。

長野県茅野市下ノ原遺跡 

 この土器には双環のほかにもマムシの銭型模様だけを特徴的に残した蛇がいたるところに組み込まれていると考えています。
 今この土器を見ている場所から反時計回りに2歩回り込みます。


 そこにフクロウの顔が現れます。


もう一度元の位置に戻ってから、土器の180°反対側に移動します。

 この位置から先ほどと同じように反時計回りに2歩回り込みます。

 またフクロウの顔が現れます。

 たまたま、この角度から見たときにフクロウの顔に見えるだけじゃないのか?
 目の錯覚や思い込みでそう見ようとするからそう見えるだけじゃないのか? そういうご意見もあると思います。もちろんそれを否定するつもりもありませんし、偶然そう見えているだけかもしれません。しかし、ここでも彼らは見ようによってはそう見えるものを作っているわけです。

 この2つのフクロウの顔に見える造形は、どちらがオスでどちらがメスかわかりませんが、彼らはこの2つのフクロウをつがいとして大胆に土器に表現していると推測します。
 つまり、この土器も蛇(男性)とフクロウ(女性や母)やフクロウのつがいを記号に使った『男女が愛し合って、出産する』土器ではないかと考えます。

さらに記号的な観点から考察を加えてみましょう。

 この土器は省略系の記号である双環と、リアル系のフクロウの記号が同時に使われていることになります。近くで見た場合はフクロウの省略形の記号である双環が目立っていて、引いて全体を見るとリアル系のフクロウの顔があらわれるのです。

 この土器は今から約170年前に描かれた歌川国芳の「寄せ絵」を彷彿とさせます。近くで見たときはひとりひとりの人間、引いて全体を見た時にはリアルな表情の人の顔に見えるという遠近を利用した技法が、この土器でも使われているのではないかと思われます。
 江戸時代末期の浮世絵師と共通の技法が5000年前にすでに使われていたとすれば、それは驚くべきことかもしれません。しかし、彼らの土器や土偶の製作技術の高さを考えると、それは十分に考えられることだと思います。

歌川国芳 寄せ絵

 信じられない。考えすぎか目の錯覚ではないのか。そう思われる方もきっと多いはずです。何度も繰り返しますが、このサイトはそれをまったく否定しませんし、むしろあり得ることだと思っています。考古館で実物を目で見て感じて、それが本当にそうなのか一緒に考えていただければと思っています。

長野県茅野市尖石縄文考古館
長野県諏訪市博物館
長野県岡谷美術考古館
長野県富士見町井戸尻考古館
山梨県笛吹市釈迦堂遺跡博物館
山梨県甲府市山梨県立考古博物館
南アルプス市ふるさと文化伝承館

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