第13回 縄文土器・土偶の女性記号「渦巻模様」「渦巻三叉文」

 突然誰かに「縄文時代の渦巻き模様は記号です。」と言われたら、あなたはどう思いますか?

 確かに土器や土偶に渦巻き模様がついていることがありますが、それが記号で意味があるだなんていわれても、文字ならともかく、4000年や5000年前の模様に意味があったのかさえはっきりわからないし、仮に意味があったとしても、それがわかるなんて、常識的に考えてもちょっと胡散臭い話です。

 私だって最初は考古館で渦巻き模様がついている縄文土器や土偶を見ても、『渦巻き模様がついているなあ』ぐらいにしか思っていませんでした。たとえば、この山梨県の金生遺跡の土偶にも渦巻き模様がついていますが、あなたがこの土偶に常識的な説明文をつけるとしたらAとBのどちらを選びますか?

山梨県北杜市 金生遺跡

 常識的に考えれば正解はもちろんAです。しかし、本当の正解はBだとしたらどうでしょう。
『ええ? 渦巻模様がへその緒? なんでそんなことがわかるの? 5000年以上も前のことなのに!』
誰でもそう思うはずです。

 今から約5500年前から約1000年ぐらいの間、渦巻模様は妊娠を意味する記号のような役割を果たしていたと私は考えています。もちろん、当時の日本列島の渦巻模様の全てが同じ意味だったわけではなかったと思います。しかし、少なくとも中部・関東を中心とする地域では渦巻模様は妊娠という意味を表していたのではないかと考えています。今回の講座では、そのことについてご紹介したいと思います。

 まず、渦巻模様の意味を解説する前に、別の模様について説明します。なぜなら渦巻模様は、関連する模様から段階的に理解してはじめて意味が解ると考えるからです。

 中部・関東地域の考古館を訪ねたことがある方なら見覚えがあるかもしれませんが、土器や土偶にはしばしば渦巻模様と三角のような模様が一緒に使われていることがあります。この三角のような模様は三叉文(さんさもん)と呼ばれていますが、私は渦巻模様と三叉文で一体化した模様になっていると考えていて、それを渦巻三叉文(うずまきさんさもん)と呼んでいます。

 渦巻三叉文の意味は、さらに別の模様から推測します。少し回り道ですが、その模様について説明し、次に渦巻三叉文、そして最終的に渦巻模様の意味を説明したいと思います。

 まず最初に説明するのは玉抱三叉文(たまだきさんさもん)と呼ばれる模様です。

 玉抱三叉文は、丸い穴の部分と三叉文がセットになった模様で、丸い穴で子どもが生まれてくる母胎の出口を表し、三叉文で襞(ヒダ)の部分を表すことで、女性器全体を表している記号のような模様だと私は考えています。 文字を持たない彼らは「女性」や「出産」や「母親」を表すために、そのような 簡略化した模様を使ったのだと考えています。 (詳しくは第8回の講座第9回の講座を参照)

 それでは渦巻三叉文はどんな意味に使われたのか、玉抱三叉文との関連から考えてみます。

 まず、渦巻き三叉文は玉抱三叉文と同じように女性器の襞(ヒダ)を表す三叉文がついています。そのことから渦巻三叉文も女性器を表していると考えます。しかし、玉抱三叉文は丸い穴なのに、渦巻三叉文は渦巻きですから、同じ女性器でも意味の違いがあるはずです。

 そこでさらにこう仮定してみました。玉抱三叉文の丸い穴は子どもが生まれてくる女性器の出口部分でした。そこが渦巻きになっているので、母胎の中にへその緒がある状態を表し、渦巻三叉文は妊娠している状態を表していると考えるわけです。

 
 つまり、渦巻模様はへその緒を簡略化した模様と考えると、渦巻き三叉文は「女性」「妊娠」「妊婦」をあらわすことになります。

 この考え方に従えば、冒頭でご紹介した金生遺跡の土偶は、胴体の渦巻模様によって母胎の中にへその緒が存在し、妊娠している=妊婦であることを示しているわけです。

 しかし、おそらくそれだけで渦巻模様がへその緒をあらわすなんて納得がいかないと思います。そもそも土偶は妊婦を表すために作られたものです。もともと妊婦として作られたものなら、なぜわざわざ渦巻きでへその緒を表す必要があったのでしょうか。土偶に渦巻きがついていたからといって、それがへその緒を表している証拠だとは言い切れません。 それに、渦巻模様の意味の根拠である渦巻三叉文や玉抱三叉文の意味も仮説的推論です。『そう考えればつじつまがあうから、そうこじつけたんだろう』そんなふうに思われても当然です。

 また、第9回の講座第10回の講座第11回の講座では、へその緒はこどもが生まれたことを表す記号的な表現として使われるということを述べました。おなじへその緒なのに、渦巻きになると今度は妊娠を表すというのでしょうか。5000年前の縄文人が、そんな高度な表現方法を持っていたのでしょうか。

 しかし、もしも彼らが渦巻き模様をへその緒をあらわす模様として使っていたとしたら、金生遺跡の土偶は国宝級の土偶に匹敵します。

『ええっ本当に? 金生遺跡の土偶が国宝級?』

 たしかに、突然そんなことを言われれば誰だって驚いてしまいますよね。そもそも国宝に指定される基準が何かよくわからないのに、この奇妙な形の土偶が国宝級なんて、まったく意味がわからないと思います。しかし、この土偶の特徴を丁寧に見ていくと金生遺跡の土偶は2つの国宝土偶と同じ意味を持った存在であることがわかってきます。

 この土偶で印象的なのは奇妙な顔です。大きく穴のあいた目とラッパのような口はとうてい人間のようには見えません。これを見た人の中には、宇宙人ではないかなどと言い出す人もいるかもしれませんが、私はフクロウの顔を表したものと考えています。なぜなら、この土偶は正面と背面に同じ渦巻き模様が記されていて、裏から見られることも前提として作られているのですが、背面から見たときに、丸い2つの穴がフクロウの目の特徴をよくあらわしていると考えるからです。

 それでは、なぜ顔をフクロウにしたのでしょうか? フクロウの造形の意味は第5回の講座第6回の講座で述べていますが、「女性」「母親」「出産の守り神のような存在」だと私は考えています。だから土偶の顔をフクロウにすることによって、「母親」と「出産を守ってくれること」を表現し、無事に出産して母親になることを表現していると考えるわけです。

 次に注目する特徴は、土偶の頭部の形です。金生遺跡の土偶の頭部は中ッ原遺跡の
国宝土偶「仮面の女神」と共通の形をしています。

 仮面の女神については第4回の講座で説明しましたが、頭部分を男性器の形にすることによって、男性と女性が合体することを表し、その結果として妊娠し、さらに無事に出産することを祈念するために作られたものだと考えました。

 金生遺跡の土偶も、仮面の女神のように頭部を男性器の形にして、女性である土偶との「男女の合体」を意味し、顔をフクロウにすることによって「女性」「母親」「出産を守ってくれる存在」を意味していることになります。つまり、金生遺跡の土偶も仮面の女神と同じように男女が結ばれて無事に出産して母親になることを祈るために作られた土偶だと考えることができるわけです。

 また、仮面の女神はお腹が膨らんでいて妊娠していることが一目瞭然でしたが、金生遺跡の土偶は、お腹にあたる部分には何の膨らみもありません。 おそらく、ボディーバランスを考えてわざとそうしたのだと思いますが、そのままでは妊婦としてはわかりにくい土偶になってしまうので、渦巻きをつけて妊娠していることを明確に表したのではないかと考えます。
(仮面の女神のおなかにも渦巻きのような模様がついていますが、よく見ると同心円が重なりあったものです。このサイトでは渦巻きと同じように考えていいのか、今の段階では意味を推測しかねています。)

 また、国宝の棚畑遺跡の土偶「縄文のビーナス」も第4回の講座で述べた通り、下半身が男性器に見えるように作られていて、男女が合体し、妊娠して無事に出産することを祈念するために作られた土偶だと考えていますから、金生遺跡の土偶も、縄文のビーナスや仮面の女神と同じ意味をあらわしていることになります。つまり渦巻き模様をへその緒や妊娠をあらわすと考えることによって、金生遺跡の土偶は国宝に指定されている土偶と同じ意味の存在になるのです。これは金生遺跡の土偶が偶然そう作られたのではなく、縄文時代に脈々と受け継がれた同じ意味を表現するために意図的に作られたのだと考えます。

 このように、今から5500年前から約1000年の間、中部・関東を中心とする地域では、模様は単なる装飾としてだけでなく、意味あるものとして使われていました。彼らにとって、どのような些細な模様や造形であっても、そこには必ず意味があり、それを組み合わせて彼らの世界で普遍的な意味をあらわそうとしていたのです。
 おそらく渦巻き模様も、へその緒や妊婦を意味する模様として受け継がれ、縄文時代の終わりに近づくまで金生遺跡の土偶のように使われ続けたと考えています。
 
 もし考古館に出かける機会があれば、渦巻き模様の意味を頭の片隅において土器や土偶を見てはいかがでしょうか? ひょっとしたら突然目の前の土器や土偶の意味がわかるかもしれません。

長野県茅野市尖石縄文考古館
長野県諏訪市博物館長野県岡谷美術考古館
長野県富士見町井戸尻考古館
山梨県北杜市考古資料館
山梨県笛吹市釈迦堂遺跡博物館
山梨県甲府市山梨県立考古博物館
山梨県南アルプス市ふるさと文化伝承館

第12回 縄文土器が示す人々の生活

 第11回の講座では出産の映像を見ながら、土器が母胎になぞらえて作られていたことをご紹介しました。
 
 今になってこんなことを言うのもなんですが、あの映像ではまだ出産は終わっていませんでした。たしかに子どもは無事に生まれたのですが、映像に映っていない重要な出来事がまだ続いていたのです。

後産
 
 それは後産(のちざん・あとざん)と呼ばれるものです。

 子どもが母胎から出ると、再び陣痛が起こり、子宮や膣内に残った胎盤やへその緒をきれいに排出するために子宮全体が収縮します。そして胎盤とへその緒が子宮から剥がれ落ち、母胎から出て来ます。これが後産です。
 病院での出産は医師や助産師が後産の処置を施すための体制を整えています。しかし、薬の利用や分娩技術が現在ほど発達していなかった時代では、速やかに後産を終えることは母胎の命を左右する重大なことでした。
 縄文時代中期に、胎盤が出てくるまでにへその緒が切られていたのかは分りませんが、後産を終えた子どもとへその緒と胎盤は次の画像のようになります。

 私達が映像や画像でよく目にするのは、へその緒が切られた後の子どもです。胎盤を見ることは殆どありませんから、驚いた方もいるかもしれません。
 
 この画像にある胎盤は土のついた根のようであり、へその緒は茎で、子どもは実のようです。これが母胎の中で成長するのですから、母胎は命を育む大地と同じ存在だと感じます。

 しかし、それは私個人の印象であり、この文章を読んで頂いている方がどのように感じるのか分かりません。ましてや5500年前の人々がどう感じたのか分りようもありません。

 ところが、 当時の人々がこれらをどう考えていたのかを知るためのヒントになる土器があります。

埋甕と再生観念

 このサイトで紹介している遺跡から、竪穴式住居の入り口とみられる場所に、土器が埋められた状態で見つかることがあります。これは埋甕(うめがめ)と呼ばれ、出産を終えたへその緒や胎盤、時には死んでしまった子どもが埋葬されていたと考えられています。


中ッ原遺跡Ⅳ次第105号埋甕 発掘報告書
百瀬 一郎・守矢昌文より

 今までの講座で繰り返し述べてきたことですが、 土器は母胎になぞらえて作られていました。 ですから、この土器もただの器(うつわ)ではなく、母胎として扱われていたはずです。へその緒、胎盤、子どもはいずれも母胎の一部と考えられていたので、土器に入れることで母胎に戻されたことになります。さらに植物と同じように、大地に戻って再生するよう埋められたと考えられます。

埋甕の再生観念

私たちが教科書で習った15000年前の縄文時代は、獣を捕らえたり、魚を獲ったり、ドングリや栗を拾うような狩猟採集を中心としていた時代でした。食糧のすべては自然の中で再生されていたはずですから、おのずと再生観念が生じたのはあたり前のように思えます。
 また、日本列島では4万年前の人間の痕跡が見つかっていますから、それ以来ずっと出産は続いてきたはずです。それが埋甕という慣習になったとしても何の不思議はないように思えます。
 しかし、16000年前から再生観念があり、4万年前から出産も続いていたのに、なぜ5500年前に埋甕の慣習が始まったのでしょうか。やはり、それだけでは説明になりません。 きっと何か別の理由があるはずです。

ダイズ、アズキ、エゴマ
 
 近年、埋甕が見つかるような遺跡から新しく発見されているのがダイズ、アズキ、エゴマなどの植物性の食糧です。発掘調査技術の進歩により、急速に発見例が増えており、最近では下記のような研究結果が発表されています。

「アズキ亜属種子が多量に混入する縄文土器と種実が多量に混入する意味」  会田 進・酒井幸則 ・佐々木由香 ・山田武文 ・那須浩郎 ・中沢道彦

  • 日常の生活の中にマメ類やシソ属果実が常態としてある
  • 日常の食生活の中に大きなウエイト占めている
  • 豊富な収穫量があった

明治大学黒耀石研究センター紀要 「資源環境と人類」より

 研究によれば、それらのマメ類などは人間が手を加えて育てたものであり、大量に収穫され食糧の中で大きなウエイト占めていたとされています。特にダイズは蛋白質が豊富であるため、マメ類やシソ属の実などでも生活が成り立っていたのではないかというわけです。作物を育てて収穫していたのであれば、子どもやへその緒や胎盤も、大地から成長する作物のように再生するものと考えられて、埋甕へと発展した可能性はあります。

 しかし、植物性の食糧が見つかっているものの、どのようにそれを育てていたのか分かっていないため、主食だったのかわからないという意見もあります。

 それでは植物性食糧の他に何か手がかりはないのでしょうか?

土器・土偶の共通テーマ

 マメ類などの食糧の他に見つかっているものと言えば、このサイトで紹介しているような土器や土偶です。
 それらが示していたのは、男女が愛し合い、妊娠し、出産するという共通テーマでした。当時の生活が作物を育てて収穫することが中心だったのであれば、共通テーマは作物の成長になぞらえて考えられていたはずです。

  • 男女が愛し合うことは種を撒くこと
  • 妊娠することは作物の芽が出て成長すること
  • 子どもが生まれることは収穫すること
人間と農耕の共通性

 しかし、それだけでは決め手に欠けます。植物性食糧の獲得と人間のライフサイクルが一体化していたことを示す具体的な証拠はないのでしょうか。

アズキが混入した埋甕

 次の画像は長野県下伊那郡豊丘村の伴野原遺跡の埋甕です。


伴野原遺跡33号住居址埋甕 会田 進 他

 発掘後の破片をX線写真を撮ったところ、土器の中に160個のアズキが混入していたことがわかりました。現段階では偶然か意図的だったのか分かっていませんが、仮に偶然の混入だったとしても、土器を製作する過程で明らかに製作者が気がつく程度の量であり、あえてそのまま土器として作ってしまっていることが確認されています。

伴野原遺跡33号住居址埋甕 破片展開  会田 進 他

 土器の外側と内側あわせて160個のアズキが混入していたのですから、いたるところ穴だらけです。製作する段階からすでに日用品としての実用性は低かったと考えられます。

伴野原遺跡33号住居址埋甕 内外種実痕 会田 進 他

 なぜ、このような土器が作られてしまったのでしょうか。

 これはあくまでもこのサイトの考えですが、この土器は最初から埋甕に使うために作られたのではないでしょうか。また、 研究でも示されているように、 粘土に混入していたアズキは、日常生活に当たり前のように植物性食糧が存在していたことを示しています。
 この埋甕は、男女が愛し合い、妊娠し、出産するというサイクルと、作物中心の日常生活が切っても切れない関係にあったことを示す具体的な証拠だと考えます。

まとめ 

 今から5500年前から約1000年間、中部高地や関東を中心とする地域では、作物中心の生活をしていたと考えられます。なぜその地域だったのかという理由については別の機会に譲るとして、当時の人々は次のような観念を持っていたと考えます。

  • 子ども、へその緒、胎盤は母胎の一部であり、母胎と大地は同じ
  • 人間のライフサイクルは作物を育てて収穫するサイクルと同じ
ライフサイクルと農耕サイクル

作物中心の生活と拡大する集団 

 作物を育てて収穫していたのですから、最適な時期に種をまき、最適な時期に収穫するのは当然です。同じ時期に同じことをするのであれば、少人数より集団で一斉にやれば効率的です。また、鳥やネズミや鹿などの害獣から作物を守るにしても、より多い人数で分担するほうが負担が少なくて済みます。
 しかし、集団の人数が増えれば作業効率は上がりますが、1人分の食糧は減ってしまいます。そこで、作物を育てるエリアを増やして増産する必要があります。このように、ひとたび拡大しはじめた集団は次々に拡大再生産せざるを得ません。

 次の図は、縄文時代の時期別・地域別の遺跡数のグラフです。中部・関東地域すべての県は網羅されていませんが、縄文時代中期には飛躍的に遺跡数が増加したことがわかります。(弥生時代に近づくにしたがって遺跡数は減少の一途をたどります。現段階では理由はわかっていません。)

縄文時代史(勅使河原彰、2016、新泉社)

 縄文時代中期の急激な遺跡数の増加を考えると、なぜ縄文土器や土偶が、あれだけ生命の誕生にこだわって作られていたのか理由が見えてきます。
 当時の人々は集団の維持と拡大を望んでいたはずです。いや、望んだというよりも、それが宿命だったと言ってもいいかもしれません。
 再生を示す土器や土偶が大量に作られ、埋甕が慣習化されたのも、そうした背景があったからだと考えます。

 私がこの画像を見たときに、植物のように見えたのは偶然かもしれません。しかし、当時の人々がこれらを母胎の一部であり、植物のように再生するものと考えたのは決して偶然でなく必然だったと考えます。

長野県茅野市尖石縄文考古館
長野県諏訪市博物館長野県岡谷美術考古館
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第11回 縄文土器の女性記号 母胎(その3)

  前回の講座では約20分の出産の映像を見ていただきました。普段見慣れない映像だったので強い衝撃を感じた人もいるかもしれません。

 しかし、母親が力を精一杯振り絞ってこどもを産む姿は、緊張感に満ちていて、無事にこどもが産まれた瞬間は安堵感が映像から伝わってくるようでした。映像を見ただけで出産を擬似体験したなどと言うのもおこがましいのですが、出産の大変さを少しでも感じることができた映像だったと思います。

 今までこのサイトで「土器には母胎や出産を表しているものがある」と述べてきました。おそらくほとんどの人はこの出産の映像を見るまで、それが何のことかさっぱりわからなかったと思います。しかし映像を見た後は、出産場面と土器画像のどこが共通しているのか無意識に比較したはずです。

 このことから分かるように、人間は記憶していないことについてはまったく理解できないのに、体験することによって記憶が生じると、それまで理解の範囲を超えていたことを理解しようとします。

 土器の画像は出産の場面と共通するものをピックアップしました。そのことがより出産と土器に共通するイメージを見つけ出そうとすることにつながったと思います。

 今回は前回ご紹介した土器画像について出産場面を引用しながら解説していきたいと思います。

http://earthbirthmethod.com/

”No matter what choice of birth method, the aim is to give birth consciously, to be in harmony with all of life, especially life on spaceship earth. It’s not just about natural birth or giving birth in nature – the aim is to help people reconnect with nature, to see birth as part of a greater whole.”– Simone

 映像は約20分に編集されていますが、おそらくこどもが母胎の出口に出てくるまでは長い辛い時間が経過していたはずです。13分を経過するあたりから、いよいよこどもの頭が母胎から出てきますが、頭が出るまでがやっと一つの山場であることがわかります。

 ようやくこどもの頭が出て、母親が仰向けになった画像です。この場面に関連すると思われる土器について何点かご紹介したいと思います。


山梨県大泉町西井出古林第4遺跡

 この土器の胴部分には双環のような造形がついています。双環は通常2つの丸い穴ですが、この土器は穴ではなく丸く盛り上がっていて、まるで目玉のような造形になっています。

 見る位置を少し変えてみると、玉抱三叉文から丸い球体がせり出しているのがわかります。このサイトでは玉抱三叉文は女性自身(母胎の出口)を示す記号だと考えていますから、その中の丸い球体はこどもの頭と推測できます。

山梨県甲州市安堂寺遺跡

 この土器も、母胎の出口にこどもの頭が出てきているのではないかと考えます。玉抱三叉文ではありませんが、涙のような形が女性自身を表していて、その中が丸く盛り上がって子どもの頭を表していると思います。

 しかし、これだけでははっきりしないと考える人もいるでしょう。そこで、このような丸い球体の造形に加えて、出産の場面に関する別の特徴を表していると思われる土器をご紹介しましょう。 まず出産の場面の画像ですが、こどもの頭が出ている母胎の出口に三角形の襞(ひだ)が見えています。この部分をよく覚えておいてください。

山梨県都留市九鬼Ⅱ遺跡

 この土器の把手には丸い部分がついていて、顔面把手のように見えますが、その顔面には目はおろか口や鼻さえありません。いわゆるのっぺらぼうなのですが、なぜこのようになっているのか、理由はよくわかっていませんでした。

 よく見ると球体の上に三角の突起がついていて、先ほどの三角形の襞(ひだ)の部分と同じ特徴を表しています。つまり、この丸い部分はこどもの頭だからのっぺらぼうなのであり、三角の部分は出産を象徴する襞(ひだ)部分を表していることになります。

 引き続き出産の場面に戻りましょう。いよいよ頭に続いて肩の部分が出ようとしている場面です。出産を象徴する三角の襞部分と、母胎の出口全体がこどもを生み出すためにさらに大きく広がろうとしています。母親は今まさにこどもを生み出そうと最後の力を振り絞っているところです。

山梨県北杜市甲ッ原遺跡

 この土器の縁部分の三角も、先ほどの母胎の出口の三角の襞の特徴と一致しています。

つまり、この土器はこどもを生み出そうと全力を振り絞って広がっている母胎を表していて、なおかつ玉抱三叉文にもなっているのです。このことからも玉抱三叉文は女性自身(母胎の出口)であることに間違いないことが分かります。

長野県富士見町下原遺跡

 この土器の口部分の三叉文も母胎の出口のの特徴を非常に良くとらえて表現していると同時に、丸い土器の口部分と合わせると玉抱三叉文になっていることが分かります。

山梨県高根町 蔵原東久保遺跡

 この土器も楕円の穴の両側に三角形が付いており、出産のために精一杯力を振り絞っている母胎の出口を表すと同時に玉抱三叉文を表していると考えられます。

山梨県笛吹市境川町 一の沢遺跡

 この土器は、通常の土器としては想像もつかない奇妙な形をしています。土器の丸い口部分に外側向きではなく内側向きに三角がついている例だと考えると、こどもを生み出そうと力を精一杯振り絞っている母胎であり、かつ変形した玉抱三叉文であると考えていいかもしれません。外側の線状の造形はへその緒を表しているのかもしれません。

 ようやくこどもが無事に生まれました。見ている私たちも思わずほっとしました。

 こどもが母親に抱きあげられた瞬間です。この画像にこどもは映っていませんが、まだ母胎とつながっているへその緒が一瞬見えたのがおわかりいただけたでしょうか。このへその緒も、無事にこどもが生まれたことを象徴するパーツだと思います。

長野県茅野市尖石遺跡

長野県富士見町藤内遺跡

 この2つの土器は第10回の講座でご紹介したものです。その時はあまりピンとこなかったかもしれませんが、こうして出産の映像を見ると、土器の口部分から延びるへその緒のような造形が、こどもが無事に生まれたことを象徴的に表すサイン(記号)になっていることが想像できるのではないでしょうか。 そう考えると、土器の口の縁から紐状のものが垂れ下がっている装飾の土器は、子どもの全身が母胎から完全に出て、へその緒だけがまだ母胎と繋がっているものの、子どもが無事に出産したことを表しているのではないかと思えます。

長野県富士見町 井戸尻遺跡3号址

長野県岡谷市花上寺遺跡

長野県富士見町藤内遺跡

長野県富士見町藤内遺跡

山梨県大泉町西井出 寺所第2遺跡

 母親に抱きかかえられるこどもです。母子ともに命がけでした。

山梨県甲府市向井遺跡

 この土器も口部分に三角の出っ張りがついています。これもおそらくこどもを産むために力を精一杯振り絞る母胎を表していて、こどもがそこから無事に生まれたということを表していると思います。

 さて、ここまでは出産の場面をクローズアップした土器をご紹介してきました。次は出産する母の全体像が土器に表現されていると思われる例をご紹介したいと思います。

山梨県北杜市石原田北遺跡

 この土器の口部分にはフクロウの顔の造形がついています。

 そしてその下にハートのような形の造形があります。

 このハート形の部分ですが、角度を変えてよく見ると、何か丸いものが中からせり出しているのがわかります。

 ハートの造形から左右に伸びているのは手でしょうか、足でしょうか、いずれにしても奇妙な造形です。(左の3本指の部分は推測による復元)

 これを足だと仮定してみましょう。

 すると、フクロウの頭からこの足までがフクロウ全体を表していることになります。ハート形はフクロウの股間部分にあたり、母胎の出口からこどもの頭が出つつあると考えることができます。このサイトではフクロウは女性・母・出産を守る意味と考えていますから、母親の出産場面と出産を守る存在であるフクロウが2重の意味で表現されていると考えても矛盾はありません。母とこどもの無事な出産を願っていると考えることができます。

 しかし、この解説も推論であることには変わりがありません。もしも、このような構図の土器が他にもあるのであれば、まったくの見当違いではなく、ある程度妥当性のある推論と考えてもよさそうです。そこでもう一つ土器をご紹介したいと思います。

山梨県北杜市 津金御所前遺跡

 これは第6回の講座でフクロウの記号の説明でご紹介した土器です。2つの穴がくっついているような形は双環と呼ばれていて、このサイトではそれがフクロウを表す記号と考えていることは今まで述べてきたとおりです。この土器を先ほどの土器と並べてみましょう。

 フクロウの頭、出産する母胎、足が対応します。どうやらこの2つの土器は同じ構図のようです。

 また、左の土器の口縁部分には三角の突起がついており、これも先ほどからご紹介してきたとおり、母胎の出口を表しているサイン(記号)になっていると考えられます。
この2つの土器が表現していることは、力を振り絞って出産に臨む母胎の力強さと美しさであり、母という存在の重要性だと考えてよさそうです。

 ここまで駆け足で出産の映像と土器の共通性についてご紹介してきました。私たちは前回と今回の講座を通じて出産の記憶を持ったことにより、今まで不可解で奇妙な存在だった土器が、何をイメージして作られているのか意識できるようになったはずです。
逆を言えば、出産という行為を視覚的に知ることがなければ、私たちは土器のメッセージをイメージすることさえできなかったでしょう。まさにそのことが、私たちが日常的な感覚で土器の造形を理解することができない本当の理由なのではないでしょうか。
私たちは記憶とイメージを手掛かりに、記号というツールを使って、少しずつ土器の意味を再現できます。今まで永遠の謎と思われていた5500年前の縄文人の思考に現代から近づいていくことができるのです。

 全国の考古館では秋の催し物や展示が始まっています。ぜひ足を運んでいただき、このサイトの仮説的推論が本当なのか目で確かめてみてはいかがでしょうか。きっとほかにも様々な発見があるはずです。

長野県茅野市尖石縄文考古館
長野県諏訪市博物館
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第10回 縄文土器の女性記号 母胎(その2)

 今まで縄文記号という自前の概念を使って縄文土器の意味について述べてきました。なぜそんな概念を持ち出したのかといえば、縄文時代中期の約1000年に作られた土器を俯瞰するためには、模様や造形を記号として分類したほうが理解しやすいと考えたからです。縄文記号はいわば便宜的なヒントのようなもので、土器それぞれが製作された時の製作者の記憶や思考をそのまま映し出したものではありません。

 それでは彼らの記憶や思考はどこにあるのでしょうか? 思考は記憶によって成り立っていて、記憶は体験によって成り立っています。私たちは彼らの体験そのものを共有することはできませんから、彼らの思考をそのまま再現することはできません。神話や人々の習俗にそれが残っているとする考えもありますが、生体レベルで考えても5500年前の記憶や思考はどこにも存在していないのです。

 しかし、存在していないからといって彼らの思考がまったく推測できないわけではありません。当時の彼らと共通することを追体験し、そこから逆算的に彼らの記憶や思考を意味づけしていくことはできるはずです。

 いささか哲学的になってしまいましたが、今回の講座はこどもの出産の映像をご紹介し、彼らと共通である出来事を映像的に追体験することで、今まで見てきた土器に母胎を見出すことができるか試みたいと思います。

 お断りしておきたいのは、これからご紹介する映像のように家族だけで分娩することがいいとか、昔に帰るべきだとか言いたいわけではありません。現代の病院での分娩は緊急時の母胎と胎児の保護、立ち会う男性の心的ストレスなどあらゆるリスクを軽減するために確立されています。それを否定するつもりはありません。

 この映像は自然分娩に至るまで、母親が様々な身体的な準備を整えた上で生命のリスクを家族が引き受けた例として見ていただければと思います。

※ご注意 刺激的なシーンを含みます。
※年齢制限があります(youtubeのコミュニティ ガイドラインに基づく設定)

”No matter what choice of birth method, the aim is to give birth consciously, to be in harmony with all of life, especially life on spaceship earth. It’s not just about natural birth or giving birth in nature – the aim is to help people reconnect with nature, to see birth as part of a greater whole.”– Simone

 出産の映像をご覧いただけましたか? おそらく、日本でも少し前まではこのように医療の助けを借りずに、出産が行われていたはずです。

 それでは、次に出産に関係すると思われる土器の画像をご覧いただきたいと思いますが、これらの画像に先ほどの出産の映像と共通するような場面を感じとることができるでしょうか?(画像数が多いので、読み込みまでに多少時間がかかります)


 いかがでしたか。出産の映像と土器の画像に何か共通するものを感じることができたでしょうか。
もし感じたとすれば、その瞬間が私たちの思考と縄文の記憶がつながった瞬間かもしれません。思考は体験に基づいた感覚が根底にあってこそ生まれるものであり、共通の体験さえあれば、それを共通の思考として感じることができるはずです。

 縄文時代中期の勝坂式土器は、このように感覚によって直感的に意味が理解できるような模様や造形がところどころにあります。今までの講座では記号だの意味だのと繰り返し述べてきましたが、縄文記号という考え方は、直感的に感じる感覚から意味を導き出すようなヒントのようなものなのです。

 次回の講座では、もう少し具体的に映像と画像の関連について述べたいと思います。

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第9回 縄文土器の女性記号「母胎」(その1)

 第7回の講座では女性自身の造形の意味、第8回の講座では玉抱三叉文の意味について述べてきました。いずれも記号が土器や土偶の一部分に使われていたことを説明してきたわけですが、今回はさらにもう一歩踏み込んで、彼らが土器そのものを母胎と考えていた可能性について述べたいと思います。(遺跡名は収蔵考古館にリンクしています。)

 これは第5回の講座でご紹介した山梨県北杜市津金御所前遺跡の土器です。出産する母親を表しているとされていますが、このようなわかりやすい構図であれば、土器が母胎だと考えられていたことは想像しやすいと思います。

山梨県北杜市津金御所前遺跡
(土器の所在については北杜市教育委員会にお問い合わせください。)


 それでは他の土器についてはどうだったのでしょうか。1つの土器が母胎のように作られていたからと言って、他の土器もそうだったとするのはあまりにも無理があります。言えるのはせいぜいそういう土器があるかもしれないという程度でしょう。


しかし、記号という観点から考えると他の土器もそうだった可能性が見えてきます。

 次の土器は口の部分に三叉文がついています。土器を上から見れば、口部分と三叉文で大きな玉抱三叉文に見えなくもありません。このサイトでは玉抱三叉文は女性・出産を表していると考えています。彼らはこの土器を母胎と同じように考えて作ったのかもしれません。

長野県富士見町藤内遺跡

 しかし土器の口部分に三叉文と似た造形があるからと言って、偶然そう見えているだけかもしれません。もしも他にもこのような土器が複数あるのであれば、土器の口部分と三角の造形の間には何らかの結びつきがあると考えよいかもしれませんが、これだけではまだまだ不十分です。

 これは長野県岡谷市の花上寺遺跡の土器です。この土器も口部分に三角形の造形が配置されています。

長野県岡谷市花上寺遺跡

 次の土器も口部分と並行する角度で三角の造形が配置されています。

山梨県北杜市原町農業高校前遺跡

 次の土器はフクロウを表す双環(女性,母,出産を守る存在を意味すると考えています)や丸い穴(子どもが生まれてくる部分である女性自身を省略したものと考えています)が多用されていて、記号の意味として出産を表していると思われる深鉢です。

 4つの突起の上部分は非常に丁寧に三叉文や三角形に整えられていて、まるで上から見られることを意識しているようです。確かに上から見れば口部分と三叉文 や三角の組み合わせで玉抱三叉文に見えます。

長野県茅野市下ノ原遺跡

 やはり彼らは土器の口部分と三角形の間に何らかのつながりを意識していたのでしょうか。

 もっと他にも探してみましょう。次の土器は皿に脚をつけたような変わった形ですが、皿の縁部分に耳のような三角の出っ張りがあります。(片方が少し欠損してますが)そしてこの土器も上から見ると玉抱三叉文に見えます。

山梨県北杜市大泉町甲ッ原遺跡

 これもそう「見える」だけかもしれませんし、実際は何か別の理由で口部分に耳のような造形がつけられているのかもしれません。しかし記号の構造から考えると、この土器はある一連の出来事について表しているのではないかと思います。

 皿の側面の膨らみに渦巻三叉文が刻まれています。次回以降の講座で述べますが、このサイトでは渦巻三叉文は妊娠や妊婦を表す記号だと考えています。また、皿を支えている脚部分には女性自身を抽象化したと思われる穴があります。これらの造形を記号の意味でつなぎ合わせてみると…

・脚の部分の女性自身 → 女性
・皿の横の渦巻三叉文 → 妊娠・妊婦
・上から見た皿の玉抱三叉文 → 出産

 妊娠から出産までの経過を表現していると考えることができます。

 次は今までの講座で何度も登場している土器です。

長野県茅野市尖石遺跡

 この土器は蛇体が男を表し、玉抱三叉文が女性・出産を表していて「男女が愛し合って出産する」という一連の出来事を表現していると考えたものです。

 今までは説明の都合上あえて触れませんでしたが、土器の口部分の下にも三叉文があり、この三叉文と土器の口部分を一体化して見ると、そこに大きな玉抱三叉文が見えてきます。そして、この土器の口部分には紐のような造形が付いています。これは土器からへその緒が外に出ている状態を出産として表しているのではないかと考えます。

 つまり、土器の口部分はこどもが生まれる母胎の出口であると同時に、その出口を女性・出産を表す玉抱三叉文とオーバーラップさせて表していることになります。

 このような土器はこればかりではありません。次の土器も口部分から外側にかけて紐状の造形が付いています。奥には把手があり、蛇体(男性の意味)の省略形と女性自身(女性の意味)の省略形、フクロウを表す双環(女性・母・出産を守る存在の意味)が組み合わされていて、「男女が愛し合って出産する」意味になっていると思われます。

 把手だけでも出産の意味を十分表していると思われますが、紐状の造形をへその緒だと仮定すれば、土器そのものを母胎にオーバーラップさせて無事に出産することをより丁寧に表現していると考えられます。

長野県富士見町藤内遺跡

 前回までの講座では、彼らが土器の一部分に女性自身の造形や玉抱三叉文を配置して、女性そのものの存在や出産を表しているということを述べてきました。しかし記号的な観点から考えると、彼らは土器の一部分どころか土器全体を母胎として製作していたのではないかと思えてきます。

 そこまでして彼らが苦心して製作した土器とは一体何だったのでしょうか。彼らは何のためにこれらを製作したのでしょうか? 記号的な側面から一歩踏み込んでもまだまだ謎が現れます。

 巷では縄文ブームといわれています。東京の博物館で縄文展が開催され、国宝級の土器や土偶が全国から集められています。そういう展示を見に行く価値があることは確かです。しかし、全国の考古館では職員の方々が企画する様々な展示があります。それは埋蔵文化財を発掘し、記録し、復元し、管理し、日々地道な努力をされている方々にしかできない展示です。

 是非、そちらにも足を運んでいただければと思います。

長野県茅野市尖石縄文考古館
長野県諏訪市博物館
長野県岡谷美術考古館
長野県富士見町井戸尻考古館
山梨県笛吹市釈迦堂遺跡博物館
山梨県甲府市山梨県立考古博物館
南アルプス市ふるさと文化伝承館

第8回 縄文土器の女性記号「玉抱三叉文」

 博物館や考古館に展示されている土器は、模様や形も様々です。それらの土器から共通する模様や造形を見つけ出すことができて、その模様や形の意味が分かれば、土器全体の意味もだいたい分かるはずです。

 例えば、女性自身(女性器)の造形は「女性」「出産」を表すというルールを知っていれば、一つ一つの土器の姿形は違っていても、同じ模様や造形があれば、「女性」や「出産」を表した共通する土器だと推測することができます。

 これは、現代の私たちに限らず、縄文人にとっても同じだったはずです。共通の意味とルールが存在しなければ、やはり5000年前だろうと1万年前だろうと意味不明な土器は意味不明だったと思います。そこに製作者と見ている人との共通の意味とルールがあったからこそ、模様や造形が様々に工夫されて土器が作られ続けたのだと考えます。


 言い換えれば、土器の製作者は共通の装飾や造形を使って、集団が共有しているテーマを見る側に伝えていたはずです。今まで述べてきたような蛇、フクロウ、男性自身、女性自身も、製作者がテーマを表すための表現だったと考えていいと思います。

 しかし、一口に造形や模様と言っても、製作者によって表現のばらつきがあるはずです。100人が作れば100人の個性があり、意味が解りにくくなる可能性が常にあったはずです。そのためには、ある程度定型化された模様や造形を記号のように使ったと考えます。

 その代表的な記号が今回ご紹介する「玉抱三叉文」(たまだきさんさもん)です。

 玉抱三叉文は丸い穴と三叉文(各辺が内側に向かって湾曲している三角形)がセットになっている装飾です。三叉文が玉を抱き込んでいるように見えるということで土器の研究者は「玉抱三叉文」と呼ばれています。

 わかりやすい例として尖石遺跡の土器があります。土器の口部分の蛇体の下に丸い穴と三叉文が並んでいます。

長野県茅野市尖石遺跡

 これが三叉文の基本的な形です。しかし、これは一体何を表しているのでしょうか?

 
 それを分かりやすく示している土器があります。これは、前回の講座でもご紹介した長野県富士見町曽利遺跡の土器です。楕円で囲った部分は女性自身(女性器)の表現で、「女性」「出産」を表しています。

長野県富士見町曽利遺跡 

 この装飾をよりシンプルに定型化したものが玉抱三叉文だと考えます。玉抱三叉文は子どもが生まれてくる穴の部分と、接している襞(ひだ)の部分を抽象化し、女性自身(女性器)と同時に「女性」や「出産」や出産を終えた女性である「母親」を表すマークのような記号として使われていたと考えています。

 彼らは、より誰でもわかりやすい定型化された記号として「玉抱三叉文」を生み出し、土器のデザインや面積に応じて意図をはっきりさせるために効果的に使っていると考えています。

 それでは今までご紹介した玉抱三叉文を振り返ってみましょう。

 黄色で囲まれた蛇(このサイトでは男性の意味と考えています。)と青色で示した玉抱三叉文(女性・出産の意味と考えています。)で男女が愛し合って出産することを表していると考えます。

長野県茅野市尖石遺跡


長野県岡谷市海戸遺跡

 この土器も蛇(男性の意味)とフクロウ(女性・母・出産を守る存在の意味)で男女が愛し合っていることを表し、玉抱三叉文(女性・出産・母親)で出産を表しています。フクロウは女性であると同時に母も表しているので、無事に出産して母になるという意味を玉抱三叉文の母親という意味と重ねて表していると考えます。

 国宝縄文のビーナスですが、作者が土偶の下半身と男性自身をオーバーラップさせて作ったと仮定すると、男女が愛し合った結果として妊娠したことを表していると考えます。頭部の渦巻き三叉文(この画像では玉抱三叉文の反対側にあるので見えませんが)と玉抱三叉文(女性・出産・母親の意味)で無事な妊娠と出産を経て母親になることを意味していると考えます。


長野県茅野市棚畑遺跡

 仮面の女神も、仮面裏の頭部分が男性器とオーバーラップさせて作られているとすれば、男女が愛し合い、妊娠することを表していると考えます。首の両側には玉抱三叉文(女性・出産・母親の意味)があり、さらに仮面の裏の男性器の下には渦巻三叉文(女性・妊娠・妊婦の意味)があるので、これも無事な妊娠と出産の結果として母親になることを意味していると考えます。


長野県茅野市中ッ原遺跡

 彼らは一見すると意味不明な造形や模様を使っているように見えますが、実際は当時の誰が見ても意味がわかるような記号を要所要所に使っています。よく見れば意味がわかるような表現はしっかり残しつつ、大胆で個性豊かな造形や装飾を駆使したのです。
 このような定型的な模様や造形が、もしも縄文時代中期以降もそのまま継続して発達し続けていれば、それはやがてエジプトやメソポタミアで使われていたような「文字」へと発展していたかもしれません。

長野県茅野市尖石縄文考古館
長野県諏訪市博物館
長野県岡谷美術考古館
長野県富士見町井戸尻考古館
山梨県笛吹市釈迦堂遺跡博物館
山梨県甲府市山梨県立考古博物館
南アルプス市ふるさと文化伝承館

第7回 縄文土器の女性記号「女性自身」

 記号という言葉を使うと何だか難しい印象になってしまいますが、彼らは文字を持たない代わりに模様や造形で意味を表していたに過ぎません。例えば、男性自身の造形で「男性」を表すとき、男性自身の造形は記号としての機能を果たしていたことになります。今回は同じように「女性」を表していたと思われる記号をご紹介したいと思います。(遺跡名は収蔵考古館にリンクしています。)

 土器の口の部分をぐるりと取り巻く装飾が見事なこの深鉢。一番目立つ部分に女性自身の装飾が配置されていると考えます。

長野県富士見町曽利遺跡

 次の土器もやはり土器の一番目立つところに女性自身を配置していると思われる例です。先ほどの曽利遺跡の土器と比べると女性自身をやや抽象的に表現していると思われます。

長野県富士見町藤内遺跡

 次の土器もやはり土器の一番目立つ場所に女性自身を配置していると考えます。

長野県富士見町広原遺跡

 しかし、土器の一番目立つところに女性自身を配置するとはあまりに大胆です。一体何を考えて彼らは土器に女性自身を配置したのでしょうか。この土器がそのヒントになると考えています。

長野県茅野市尖石遺跡

 この深鉢には口の部分に把手(とって)が一つあります。手前側はとぐろを巻いた蛇になっていて、反対側は女性自身と思われる造形になっています。この把手は、蛇(男性を表す記号と考えています。)と女性自身(女性)で『男性と女性が愛し合っている』ことを表していると考えます。つまり、 彼らは女性自身を土器に配置することで女性の存在そのものを表していたと考えます。

 次は釈迦堂遺跡の土器です。黄色い円で囲んだ部分が逆さまの男性自身の形に見える例として以前の講座でもご紹介したものです。


山梨県笛吹市釈迦堂遺跡

 丸い底の部分(男性自身の頭の部分)には人の形がついています。そしてその人の形の胴体部分は女性自身の造形と重ねあわされていると考えます。


今までの講座で何度もご紹介してきたとおり、彼らが土器に託したのは『男女が愛し合い、妊娠して、無事に出産する』というテーマでした。そのテーマに従えば、この土器も男性自身と女性自身で『男女が愛し合う』という意味になり、出産を女性自身と人の形を重ね合わせることで表現していると考えることができます。この場合、女性自身は女性という存在だけではなく、出産という行為も表していることになります。


次の土器もおそらく同様の意味だと考えます。一見すると首のない人のようですが、胴体部分を女性自身と重ねて表現し、そこから生まれてくる子どもを表現していると考えます。なぜ首を省略したのか理由はわかりませんが、彼らが表現したかったのは子どもそのものというよりも、無事な出産そのものだったのかもしれません。

山梨県甲府市向井遺跡

 他にも出産をあらわすと思われる土器をご紹介しましょう。
この浅鉢には4つの尖った突起がありますが、右側奥の突起の内側には女性自身と思われる造形が配置されています。そして左側奥の突起の内側には丸い穴のような造形が配置されています。

長野県富士見町下原遺跡

 この2つの造形には何の関連性も見出すことはできません。しかし、この2つが女性自身を表していると仮定すると、右の造形は平常状態の女性自身で、左の造形は出産状態の女性自身を丸い穴で強調して示している可能性を想定することができます。女性自身と丸い穴で強調された出産状態の女性自身が、一つの土器に同時に表現されているという仮定です。

 なぜそんな仮定が成り立つのか、その理由は前回の講座でご紹介した土器の中にあります。

山梨県笛吹市釈迦堂遺跡 水煙文土器

 右側のフクロウの把手に女性自身が配置されています。(女性自身は、女性・出産を表す記号だとこのサイトでは考えています。)

 そして女性自身の右側には大きく開いた穴があり、この穴は出産の瞬間を強調していて、女性自身の造形と対比させて配置されている可能性があります。

 さらにこの穴を右側から見るとフクロウの左目の部分になっています。

 フクロウの片目だけを女性自身と重ね合わせるなんてことは通常の発想ではなかなか考えられません。ましてや女性自身を変形した造形で、出産の瞬間を強調しているとは推測の域を超えて妄想に近いようにも思えます。事実このサイトでも最初はそれは妄想だと考えていました。

 ところが、次にご紹介するような土器を見つけたために、彼らがそこまで計算して土器を作っていたという可能性を否定するわけにはいかなくなってしまったのです。

山梨県笛吹市水呑場遺跡

 この土器は、フクロウを表す双環の左目と女性自身の造形が重ねあわされていると思われるのです。女性自身の造形は女性そのもの・出産を表す記号で、双環は女性・母・出産を守る存在を表す記号だとこのサイトでは考えていますから、この土器は無事に出産して母親になることを表現していることになります。

 このように、部分的に記号が共通するのは偶然ではなく、彼らは女性自身やフクロウの造形を組み合わせて、男性と女性が愛し合うことや、命がけで子どもを出産する女性を表現していたと考えます。彼らにとって女性はそれだけ重要な存在だったのです。

長野県茅野市尖石縄文考古館
長野県諏訪市博物館
長野県岡谷美術考古館
長野県富士見町井戸尻考古館
山梨県笛吹市釈迦堂遺跡博物館
山梨県甲府市山梨県立考古博物館
南アルプス市ふるさと文化伝承館

第6回 縄文土器の女性記号「フクロウ」後編

 勝坂式土器は意味不明な模様や造形だらけです。意味不明であればそれを作った人々も意味不明な人間だったのではないかと思ってしまいがちです。しかし、私たちにとって意味不明に見えるのは、造形が何を表しているのか、どのように使われているのかというルールが分かっていないだけだからです。

 この土器は山梨県笛吹市釈迦堂遺跡の土器です。土器の口部分から立ち上がる4本の見事な把手(とって)に目を奪われます。滝壺にわきあがる水煙をイメージして水煙文土器と呼ばれています。

山梨県笛吹市釈迦堂遺跡 水煙文土器

 この4つの把手の中には、フクロウの造形が組み込まれていると考えています。この中にフクロウの造形がいくつかあると思うのですが、おわかりになりますか?

フクロウの造形が4つあると思います。

 たまたま、この角度から偶然フクロウのように見えているだけじゃないのか?
 そう見ようとするから 目の錯覚や思い込みで そう見えるだけじゃないのか? もちろん、そういうご意見もあると思います。それを否定するつもりもありませんし、偶然そう見えているだけかもしれません。

 しかし、この土器には偶然ではないと思われる点があります。
 この画像の角度から渦巻三叉文(女性・妊娠を表すとこのサイトでは考えています。)と、女性自身(女性・出産を表すとこのサイトでは考えています。)がちょうど見えます。この2つのマークは、この位置に立った時がもっとも両方がよく見えます。つまり、作者は見る角度を意識してこの土器を作っている可能性があり、角度によってフクロウのように見える造形を作っている可能性も高と考えます。


 フクロウに見える造形の頭の上にはひも状の造形がついていますが、これも角度によっては蛇の頭やとぐろを巻いたように見えます。この土器はフクロウ(女性や母を意味する)と蛇(男性を意味する)のセットで『男女が愛し合う』という意味を表していると考えます。

 
 それでは見る角度を変えてみましょう。向かって右側の把手が正面に来るように反時計回りに移動します。先ほどのように妊娠や出産の記号らしいものは見当たりませんが、やはりフクロウに見える造形が3つ現れます。


 次の把手が正面に見える角度に移動します。フクロウに見える造形が4つ現れます。

 次の角度からも3つフクロウに見える造形があります。

 次の画像のような複雑な造形も、オスとメスのフクロウがつがいで寄り添っているように表現されていると推定します。そして、同時にフクロウの造形を借りて男女が愛し合っている状態をオーバーラップさせて表現していると思います。

 この土器全体を記号の意味から考えると、この水煙文土器も今までご紹介してきた土器や土偶と同じ『男女が愛し合って、妊娠して、出産する』という意味になります。

 次にご紹介するのは長野県茅野市下ノ原遺跡の土器です。

長野県茅野市下ノ原遺跡 

 この土器には双環のほかにもマムシの銭型模様だけを使った蛇がいたるところに組み込まれていると考えています。しかし、この土器の凄いところは、あまりにも大胆にフクロウの顔を組み込んでいるところだと考えています。
 今この土器を見ている位置から反時計回りに2歩回り込んで見てみましょう。


 そこにフクロウの顔が現れます。


 もう一度元の位置に戻ってから、土器の180°反対側に移動します。

 この位置から先ほどと同じように、反時計回りに2歩回り込みます。

 すると、そこにも別のフクロウの顔が現れます。

 たまたま、この角度から見たときに偶然フクロウの顔に見えるだけであって、そう見ようとするから目の錯覚でそう見えるだけじゃないのか? 確かに偶然そう見えているだけかもしれませんし、それを否定するつもりもありません。しかし、ここでも彼らは見ようによってはそう見えるものを作っているわけです。

 このサイトの考えでは、この2つのフクロウは、どちらがオスでどちらがメスかわかりませんが、つがいとして土器に表現されていると考えています。なぜなら、彼らは蛇(男性)とフクロウ(女性や母)を土器に使って、男女が愛し合って出産することを表していました。それと同じようにフクロウのつがいを使って男女が愛し合っていることを間接的に表現していると考えます。

 さらに記号的な観点から考察してみます。
 この土器は近くで見た場合はフクロウの省略形の記号である双環が目立っています。しかし、先ほど見ていただいたように、角度を変えて全体を見るとリアルなフクロウの顔があらわれるという構造になっています。

 このことは、今から約170年前に描かれた歌川国芳の「寄せ絵」を彷彿とさせます。近くで見たときはひとりひとりの人間にしか見えませんが、全体を見た時にはリアルな表情の人の顔に見えます。この遠近を利用した技法が、この土器でも使われているのではないかと思えます。
 
 江戸時代末期の浮世絵師と共通の技法が5000年前にすでに使われていたとすれば、それは驚くべきことかもしれません。しかし、彼らの土器や土偶の製作技術の高さを考えると、それは十分に考えられます。

歌川国芳 寄せ絵

 是非考古館に足を運んでいただき、このサイトで述べていることが本当なのか実物を見て確かめていただければと思います。

長野県茅野市尖石縄文考古館
長野県諏訪市博物館
長野県岡谷美術考古館
長野県富士見町井戸尻考古館
山梨県笛吹市釈迦堂遺跡博物館
山梨県甲府市山梨県立考古博物館
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第5回 縄文土器の女性記号「フクロウ」前編

 Webで「縄文土器 蛇」というキーワードで検索すると、蛇信仰など様々な情報がヒットします。おそらく土器に一目で蛇だとわかるような造形があるので、当時の縄文人は蛇を信仰していたのではないかというごく単純な結果に行き当たるわけです。

 しかし、「縄文土器 フクロウ」というキーワードで検索しても、このサイト以外はほとんど情報が検索されません。なぜなら、それは今までの縄文時代観によるところが大きいからだと考えます。

 世界の歴史ではフクロウはネズミなどを駆除し豊穣をもたらす農耕社会の偶像や神として登場します。しかし、縄文時代は長い間、狩猟採集だけで成り立っていたと考えられていたため、フクロウが登場する根拠がありません。だから、今までフクロウに似た造形があっても無視されてこざるを得なかったのだと考えています。

 最新の縄文研究によれば、このサイトで紹介しているような土器や土偶が作られた中部、関東地方を中心とする地域では、大豆や小豆などが食糧の主流を占めていたという研究結果が発表されています。しかし、まだ実態はわからないとして、日本列島全体で見たときは、やはり縄文時代は豊かな狩猟採集社会として発達していたとする見解が根強いのも事実です。

 このサイトでは、蛇やフクロウが栽培・農耕における重要な役割をはたしていて、彼らの生活の中で欠かせない存在だったと考えており、特にフクロウは女性や出産を守ってくれる存在として、記号として使われていたと考えています。

 さて、前置きが長くなりましたが、フクロウの記号について述べたいと思います。

 フクロウは蛇と同様にリアルな表現から省略した表現まで様々なバリエーションがあります。最も典型的なのは丸い2つの環を連結した双環(そうかん)と呼ばれる装飾です。多くの勝坂式土器に共通して使われていて、フクロウの目の部分を抽象化してデザインした記号だと考えています。

長野県茅野市下ノ原遺跡


長野県茅野市下ノ原遺跡

 次は双環よりもややフクロウの顔面を具体的に表した思われるものです。省略系とリアル系の記号の中間のような造形になっています。

長野県茅野市長峯遺跡

山梨県笛吹市釈迦堂遺跡

長野県岡谷市海戸遺跡

 双環をはじめとするフクロウの記号は高い頻度で女性に関係する装飾や造形と一緒に使われていました。例えば、土偶の頭の裏には高い頻度で双環がつかわれています。

山梨県笛吹市釈迦堂遺跡


山梨県笛吹市釈迦堂遺跡


また、顔面把手(がんめんとって)の裏や、土器の側面にも双環が配置されているものが多く見られます。

山梨県北杜市海道前C遺跡

 この土器は出産の様子を表しているとされています。(撮影画像がないため、発掘報告書の図録を引用します。)土器の口部分に双環があり、その下の胴部分に出産中の子供の顔がのぞいています。土器の奥の口部分には顔面把手があり、その裏には双環とフクロウの顔がついています。

山梨県北杜市津金御所前遺跡
(土器の所在については北杜市教育委員会にお問い合わせください。)


 また、勝坂式土器には、三角形と丸い穴がくっついたような玉抱三叉文とよばれる造形があります。このサイトではそれを女性・出産を表す記号と考えていますが、その玉抱三叉文と双環を重ねている土器もしばしば見られます。

長野県茅野市棚畑遺跡

 これらのことから、双環やフクロウの造形はフクロウそのものだけでなく、土偶や顔面把手のような女性や出産や母親を表したものと密接な関係があるだけでなく、女性・出産を表す記号とも密接な関係があることがうかがえます。

 しかし、なぜフクロウと蛇が選ばれたのでしょうか?
彼らをとりまく環境の中には、熊や猪や鹿など様々な動物が存在していたはずです。その中からあえてフクロウと蛇を記号に選んだのは理由があるはずです。その理由とは、主な餌が野ネズミということだと考えます。


当時の食糧確保の手段として栽培・農耕が重要だったとすれば、フクロウと蛇は人間の生活を守ってくれる存在であり、それ以外の動物とは一線を画す特別な存在だったはずです。

 これは仮説的推論ですが、このサイトではこう考えます。

 蛇は男性の象徴であり、フクロウはそれに対応する女性を象徴する存在です。特にフクロウは生活の重大事である出産の守り神のような存在でした。そう考えると双環やフクロウの造形が、土器だけでなく土偶や出産を表す玉抱三叉文とあわせて記号として使われていることも説明がつきます。

 フクロウと蛇が、それぞれ男性と女性を表す記号だということを理解するだけでも、縄文土器の意味がところどころ読めてきます。迫力ある造形の土器も、そういう目で見れば違った存在に見えてくるかもしれません。

長野県茅野市尖石縄文考古館
長野県諏訪市博物館
長野県岡谷美術考古館
長野県富士見町井戸尻考古館
山梨県笛吹市釈迦堂遺跡博物館
山梨県甲府市山梨県立考古博物館
南アルプス市ふるさと文化伝承館

第4回 縄文土器の男性記号「男性自身」


 縄文時代のイメージというと、石棒を連想する人も多いと思います。
 石棒は縄文時代中期に主に北陸、中部、関東地方で作られ、集落や住居単位で何らかの祭祀に使用されたと考えられていますが、なぜこのようなものが作られたのか、はっきりしたことはわかっていません。
 ただ言えることは、石棒が作られた地域は縄文時代中期の勝坂式土器が作られた地域とほぼ重なっていて、男性を表す象徴的なものとして存在していたということです。

石棒記録図 武居幸重著『縄文のデザイン』より

 しかし、男性自身を表しているのは石棒だけではありません。これは長野県富士見町の井戸尻考古館に展示されている土器です。よく見ると胴部分に矢印のような造形が組み込まれていますが、これは男性自身(男性器)を省略した表現と言われています。

長野県富士見町曽利遺跡

 
 次の土器は、山梨県釈迦堂遺跡博物館に展示されているものです。丸い底の部分が、男性自身(男性器)を逆さまにしたような形に見えませんか?


山梨県笛吹市釈迦堂遺跡

「見えませんか?」と言われると、そう見えるような気がすることがあります。人間は、見たものを自分の身近なものに置き換えて理解しようとするので、「見えませんか?」と聞かれると自分の身近なものを頭の中で思い出して、それに見ているものが重なった瞬間に「見える」ということになってしまいます。 

 たしかに石棒のように男性自身をそのまま写実的に表現したものであれば、「見える」と言ってもいいと思いますが、この土器の一部が男性自身に「見える」ということについては、見る人のとらえ方によって様々であり、疑問を持つ人も多いはずです。

 しかし、見たものを身近なものに変換して理解しようとするのは現代の私たちも5500年前の縄文人も変わりません。見えるとか見えないということ以前に、当時の彼らにとっても、見ようによってはそう見えるものがわざわざ作られていたことが重要だと考えます。

 たとえばこの土偶を見てみましょう。これは仮面の女神と呼ばれる長野県茅野市尖石縄文考古館に収蔵されている中ッ原遺跡の国宝土偶です。仮面をつけた特異な姿をしていますが、横から見ると腹部が膨らんでいて妊婦であることがわかります。

長野県茅野市中ッ原遺跡

 土偶を後ろから見ると、三角の仮面の裏には人の頭が見えます。唐突ですが、この頭の部分は男性自身(男性器)に見えませんか?
 そう見えたとしても偶然の一致かもしれません。この画像がたまたまそう見えるような角度で撮れてしまっただけという可能性もあります。しかし、ここにも見ようによってはそう見えるものが仮面の裏にわざわざ作られています。

 さらに、記号という観点からみると興味深い点があります。写真では陰になっていてわかりにくいのですが、頭部には仮面を頭に結んでいる帯のような逆V字の造形がついています。その逆V字の造形の内側のエッジは非常に丁寧に直線的に整えられています。まさに細心の注意を払って直線に整えたと言ってもいいほど丁寧に逆V字に仕上げられています。その下に渦巻の模様がついていますが、真正面から逆V字と渦巻きを重ね合わせて見ると、渦巻三叉文と呼んでいる模様になります。渦巻三叉文はこのサイトでは女性や妊娠を表す記号と考えています。
 つまり、仮面の女神は仮面の後ろに男性自身を配置し、女性と男性が愛し合った結果、妊娠したという一連の出来事を表していると思うのです。

 記号らしき模様はこれだけではありません。首の左右には穴が開いていて、これは土偶を焼いたときに空気を逃がすためと考えられています。しかし、この穴にも記号らしき模様がオーバーラップされている痕跡があります。

  見にくい画像で申し訳ありませんが、土偶を正面から見て左の穴をよく見ると、穴の外側が丸く縁取られています。へら状のようなもので押さえた痕が、丸い縁取りの右下方向に直線となって残っています。加工の過程でたまたまそうなってしまったのかもしれませんが、その2本の直線が丸い縁取りの一部分とともに三日月のような形になっています。

 反対の右の穴を見てみましょう。これも見にくい画像で申し訳ありませんが、穴の右下部分にヘラ状のもので押さえ込んだようなくぼみがあり、その部分が小さな三角形になっています。

 丸い穴と三角形がセットになった形は玉抱三叉文と呼ばれる模様です。玉抱三叉文は女性や出産を表す記号だとこのサイトでは考えていますから、この土偶の製作者は、丸い穴にわざわざ三角形の形をつけて、出産という意味を表したのだと推測します。

 しかし、これを読んでいる人はきっとこう思うはずです。
(本当に5000年前の人間がここまで計算して土偶を作ったのか? 偶然そう見えるだけじゃないか)

 もちろん偶然を頭から否定するつもりはありません。しかし、国宝に指定されるような一分の隙もないほどに完成された土偶なのに、この2つの穴だけ手元が狂ってしまったとはなかなか考えられません。

 さて、仮面の女神の頭が男性器に見えるように作られているのではないかということから脇道にそれてしまいましたが、もう少し別の土偶も見てみましょう。

 これは同じ尖石縄文考古館に展示されている国宝縄文のビーナスです。頭部の右側には渦巻三叉文が見えますが、このサイトではそれが女性、妊娠を表す記号だと考えています。


 頭の左側には玉抱三叉文が2つ重なっている造形があります。このサイトでは
玉抱三叉文 は女性・出産・母親を表す記号だと考えています。

長野県茅野市棚畑遺跡

 つまり、この縄文のビーナスも、 先ほどの仮面の女神と同じように 妊娠と出産の記号を頭部付近に持つ妊婦像ということになります。

 それでは、この縄文のビーナスにも男性器のように見えるものがあるとしたらどうでしょうか。

 背後から見たビーナスの下半身です。女性の体を強調するようなボリューム感を持った下半身です。ところが、角度を変えるとその下半身が男性自身(男性器)に見えてきます。


 仮面の女神の頭と男性器が重ねあわされているのと同じように、この下半身が男性器と重ね合わされているのであれば、 仮面の女神と同じ 『男女が愛し合い、妊娠して出産する』という一連の出来事を表していることになります。
 
 女性の下半身と男性器が合体しているこの造形と、男性器に見える仮面の女神の頭部を、それぞれ別々に見れば、偶然か何かの間違いということで片づけられてしまってもおかしくありません。しかし、2つの国宝土偶それぞれに、そのような造形が作りこまれていることは、偶然の一致では説明がつきません。

 この男女が愛し合うという表現について、さらに土器についても見てみましょう。

長野県岡谷市海戸遺跡

 この土器は第1回の縄文記号講座でご紹介した岡谷市海戸遺跡の顔面把手付深鉢です。顔面把手の裏には妊娠を表す渦巻三叉文と出産を表す玉抱三叉文が配置されていました。そして、男性を表す蛇と女性を表す双環(フクロウ)も配置さていて、男性と女性が愛し合っていることを表し、正面から見た土器全体は妊婦を表しています。
 
 つまり、男性器の造形を使っていないものの、縄文のビーナスや仮面の女神と同じように、顔面把手の顔面部分に妊娠と出産の記号を持ち、男女が愛し合って、妊娠して出産するという一連の出来事を表していることになります。
 
 これらの土偶や土器は、姿形はまったく違っているのに、 模様や造形を記号として分解すると、構成は驚くほど共通しています。それは、同じテーマをそれぞれが独自の工夫で表現していることになるのではないでしょうか。


 彼らの造形技術や記号の配置技法はあまりにもさりげなく、時には驚くほど大胆です。思いこみや見間違いではないかと錯覚させるほど巧妙に、形を調整し、微妙なバランスで全体と一体化しています。これらの土器や土偶は、まさに彼らの熟練の技によって作られたと言っても良いと思います。

 現時点の考古学では、これらの土器や土偶がどのように使用されたのかはっきりわかっていません。しかし、集団全体のシンボルとして、様々な技術や視覚効果を駆使して作られた特別なものであることは間違いないと思います。

 ぜひ考古館に出かけて現物を見てください。そして、この講座で述べていることが本当なのか、その目で確かめていただければと思います。

長野県茅野市尖石縄文考古館
長野県諏訪市博物館
長野県岡谷美術考古館
長野県富士見町井戸尻考古館
山梨県笛吹市釈迦堂遺跡博物館
山梨県甲府市山梨県立考古博物館
南アルプス市ふるさと文化伝承館