おことわり

このサイトでご紹介する縄文土器の記号は、土器すべての装飾を説明するものではありません。

 縄文時代には日本列島各地でさまざまなローカルな記号がつかわれていた可能性があります。しかしほとんどが消滅してしまっているため、記号そのものが日本列島のどこにどのように存在したのかさえ解らない状態です。
 ところが、今から5500年前から4500年前の1000年間に作られた「勝坂式土器」と呼ばれる縄文土器には記号が装飾として使われていました。
 勝坂式土器とは中部・関東地方を中心とした地域で流行した土器のことですが、その装飾は非常に複雑で様々なバリエーションがあり、中には記号と言えるレベルにまで発達した装飾がありました。この講座ではその記号の意味から当時の人々が何を考えていたのかをご紹介したいと考えています。

 

このサイトでご紹介する縄文記号は今も研究中です。

 縄文人が何を考えてどのように生活していたのか、今も多くの研究者がその謎に迫るために様々なアプローチを続けています。
 考古学では縄文土器を型式で考えます。様々な型式の土器を比較して、それこそ厳密に気の遠くなるような資料の積み重ねによって年代の前後関係を明らかにします。そして、その前後関係を手がかりに人の動きや流通の変化を探るのが考古学の伝統的なアプローチです。


 しかしこのサイトでご紹介するのは、記号学的アプローチです。記号学的アプローチとは、土器型式による年代の前後についてではなく、異なる型式の土器にある共通性の高い記号の意味について考える方法です。

  1. 共通性の高い記号の意味を絞り込む。
  2. 記号の意味の関連性を裏づける記号の組み合わせを探す。
  3. 別の組み合わせに適用して意味が通じるか考える。

  なんとも雲をつかむような話かもしれませんが、記号の意味が正しければ土器の型式が違っていても基本的な意味は読める。もし間違っていれば土器の意味はほとんど読めない。アバウトではあるけれど潔い、それが記号学的なアプローチだと考えています。


 誤解しないでいただきたいのは、記号学的アプローチで考えたから1000年間の縄文土器すべてが読めるわけではないということです。ある型式の土器では共通の装飾(記号)として読めたのに、別の型式の土器には同じ装飾が存在しないので意味が読めないことも当然あります。
 一つの型式だけでも読めない装飾(記号)は多数あります。おおよその意味が推定できている記号も縄文時代中期の1000年間のうち500年間で使われた一部にすぎません。このサイトでご紹介するのは研究経過でもあることをご理解いただければと思います。

学芸員の方々へ

 ここに紹介されている土器の画像については、非営利目的のブログのみ使用承諾をいただいたものです。発掘に携わった方々をはじめ、学芸員の方々の並大抵ではないご苦労があった結果として、私たちは考古館で土器を見ることができるのです。そのことに感謝と敬意を表します。
 縄文文化は日本のみならず世界史レベルで評価されるべきものです。このサイトでは随時、各考古館の特徴や展示内容についても紹介していきます。

考古館を訪れる方々へ

 各考古館の職員の方々の縄文土器や縄文時代に対する考え方は、このサイトの考え方や立場と必ずしも同じであるとも限りません。土器の復元という気の遠くなるような作業をはじめ、遺物を大切に管理し、さまざまな研究に役立てているのは各考古館の学芸員の方々です。
 このサイトの内容は縄文土器を見るときに、こういう視点で見る方法もあるという提案です。見てくださった方が考古館を訪れたときに、様々な見解や内容の相違があったとしても当然ですので、そこは柔軟に捉えていただきますようお願いいたします。

クリエイティブ・コモンズ

【表示について】このサイトは2009年に茅野市郷土研究会の会誌として出版された(続)縄文心象の内容をもとに構成されています。引用に関してはサイト名とURLもしくは武居竜生著(続)縄文心象[2009年茅野市郷土研究会]の出典を明示していただくようお願いいたします。
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