縄文時代の関東・中部地域の繁栄
縄文時代は今から約15,000年前から2,300年前までの約13,000年間です。その13,000年間の中で約5,500年前から4,500年前までの1000年は関東・中部地方を中心とするエリアで大きな集落が数多く作られました。
当時の人口密度は、西日本が100平方キロメートル当たり50人未満、北海道を除く東北が50~100人であったのに対して中部・関東地方は250~300人と言われています。
縄文時代の人々は主に狩猟採集や植物栽培によって生活していたといわれていますが、なぜ大きな集落が数多く作られるようになったのでしょうか? 集落を支えるために、どれぐらいの規模で狩猟採集や植物栽培が行われていたのでしょうか? 多くの研究者たちがこの謎に取り組んでいますが、まだはっきりした理由はわかっていません。
縄文土器の装飾は記号にまで発達した
当時の集落では普段の生活で使われる土器のほかに、祭りごとや儀式に使ったと思われる複雑な装飾の土器が作られました。勝坂式土器と呼ばれる縄文土器です。
集落で暮らしていた人々は文字を持っていませんでしたが、同じ集落の中だけでなく、遠く離れた集落からも同じ装飾の土器が見つかります。おそらく装飾が共通の何かを表してしていて、それを伝える役割をしていたのではないかと考えられています。
このサイトでは、勝坂式土器の装飾は彼らにとって大事なことを記録する「記号」にまで発達したと考えています。そして、その意味を読み取ることで彼らが何を考えて生活していたのかがわかると考えています。