第6回 縄文土器の女性記号「フクロウ」後編

 勝坂式土器は意味不明な模様や造形だらけです。意味不明であればそれを作った人々も意味不明な人間だったのではないかと思ってしまいがちです。しかし、私たちにとって意味不明に見えるのは、造形が何を表しているのか、どのように使われているのかというルールが分かっていないだけだからです。

 この土器は山梨県笛吹市釈迦堂遺跡の土器です。土器の口部分から立ち上がる4本の見事な把手(とって)に目を奪われます。滝壺にわきあがる水煙をイメージして水煙文土器と呼ばれています。

山梨県笛吹市釈迦堂遺跡 水煙文土器

 この4つの把手の中には、フクロウの造形が組み込まれていると考えています。この中にフクロウの造形がいくつかあると思うのですが、おわかりになりますか?

フクロウの造形が4つあると思います。

 たまたま、この角度から偶然フクロウのように見えているだけじゃないのか?
 そう見ようとするから 目の錯覚や思い込みで そう見えるだけじゃないのか? もちろん、そういうご意見もあると思います。それを否定するつもりもありませんし、偶然そう見えているだけかもしれません。

 しかし、この土器には偶然ではないと思われる点があります。
 この画像の角度から渦巻三叉文(女性・妊娠を表すとこのサイトでは考えています。)と、女性自身(女性・出産を表すとこのサイトでは考えています。)がちょうど見えます。この2つのマークは、この位置に立った時がもっとも両方がよく見えます。つまり、作者は見る角度を意識してこの土器を作っている可能性があり、角度によってフクロウのように見える造形を作っている可能性も高と考えます。


 フクロウに見える造形の頭の上にはひも状の造形がついていますが、これも角度によっては蛇の頭やとぐろを巻いたように見えます。この土器はフクロウ(女性や母を意味する)と蛇(男性を意味する)のセットで『男女が愛し合う』という意味を表していると考えます。

 
 それでは見る角度を変えてみましょう。向かって右側の把手が正面に来るように反時計回りに移動します。先ほどのように妊娠や出産の記号らしいものは見当たりませんが、やはりフクロウに見える造形が3つ現れます。


 次の把手が正面に見える角度に移動します。フクロウに見える造形が4つ現れます。

 次の角度からも3つフクロウに見える造形があります。

 次の画像のような複雑な造形も、オスとメスのフクロウがつがいで寄り添っているように表現されていると推定します。そして、同時にフクロウの造形を借りて男女が愛し合っている状態をオーバーラップさせて表現していると思います。

 この土器全体を記号の意味から考えると、この水煙文土器も今までご紹介してきた土器や土偶と同じ『男女が愛し合って、妊娠して、出産する』という意味になります。

 次にご紹介するのは長野県茅野市下ノ原遺跡の土器です。

長野県茅野市下ノ原遺跡 

 この土器には双環のほかにもマムシの銭型模様だけを使った蛇がいたるところに組み込まれていると考えています。しかし、この土器の凄いところは、あまりにも大胆にフクロウの顔を組み込んでいるところだと考えています。
 今この土器を見ている位置から反時計回りに2歩回り込んで見てみましょう。


 そこにフクロウの顔が現れます。


 もう一度元の位置に戻ってから、土器の180°反対側に移動します。

 この位置から先ほどと同じように、反時計回りに2歩回り込みます。

 すると、そこにも別のフクロウの顔が現れます。

 たまたま、この角度から見たときに偶然フクロウの顔に見えるだけであって、そう見ようとするから目の錯覚でそう見えるだけじゃないのか? 確かに偶然そう見えているだけかもしれませんし、それを否定するつもりもありません。しかし、ここでも彼らは見ようによってはそう見えるものを作っているわけです。

 このサイトの考えでは、この2つのフクロウは、どちらがオスでどちらがメスかわかりませんが、つがいとして土器に表現されていると考えています。なぜなら、彼らは蛇(男性)とフクロウ(女性や母)を土器に使って、男女が愛し合って出産することを表していました。それと同じようにフクロウのつがいを使って男女が愛し合っていることを間接的に表現していると考えます。

 さらに記号的な観点から考察してみます。
 この土器は近くで見た場合はフクロウの省略形の記号である双環が目立っています。しかし、先ほど見ていただいたように、角度を変えて全体を見るとリアルなフクロウの顔があらわれるという構造になっています。

 このことは、今から約170年前に描かれた歌川国芳の「寄せ絵」を彷彿とさせます。近くで見たときはひとりひとりの人間にしか見えませんが、全体を見た時にはリアルな表情の人の顔に見えます。この遠近を利用した技法が、この土器でも使われているのではないかと思えます。
 
 江戸時代末期の浮世絵師と共通の技法が5000年前にすでに使われていたとすれば、それは驚くべきことかもしれません。しかし、彼らの土器や土偶の製作技術の高さを考えると、それは十分に考えられます。

歌川国芳 寄せ絵

 是非考古館に足を運んでいただき、このサイトで述べていることが本当なのか実物を見て確かめていただければと思います。

長野県茅野市尖石縄文考古館
長野県諏訪市博物館
長野県岡谷美術考古館
長野県富士見町井戸尻考古館
山梨県笛吹市釈迦堂遺跡博物館
山梨県甲府市山梨県立考古博物館
南アルプス市ふるさと文化伝承館