武居竜生(Ryusei Takei)

縄文記号研究者

武居竜生

撮影 写真家 三好祐司

 少々長い文章になりますがお付き合いください。

 縄文が嫌いでした。縄文土器を見るのもいやでした。

 私の幼少の頃の話です。父は縄文遺跡の発掘ボランティアや自然保護運動など、お金にならないことばかりに没頭していました。その頃の日本は高度成長期の真っ只中で、夏休みになると家族連れで海水浴や上野動物園や富士急ハイランドに出かける時代でした。毎年夏休み前になると友達はその話で盛り上がっています。私はそれがたまらなく嫌でした。私も友達と同じように楽しい場所に連れて行って欲しかったのですが、父は暇さえあれば私を連れて地元の考古館に通ってばかりいたからです。

 父はその日も考古館の職員と話し込んでいました。私は何もすることがなく、いつものように土器を眺めます。どれもこれも得体のしれない模様や形です。やがて日も暮れかけ、考古館の中が薄暗くなりはじめると、展示ケースに並んだ土器が一斉に自分を見つめているような気がしてきます。早く帰ろうと父にせがむのですが、父は話に夢中でなかなか帰ろうとはしません。毎回そんなことの繰り返しでした。
 
 やがて私はそんな父から離れて一日も早く外の世界に飛び出したいと思うようになりました。高校を卒業してアルバイトをしながら大学に通い、なんとか社会人になり、幸いにも結婚して家庭を持つこともできました。そして30代半ばになったある日のことです。

 書店で何気なく縄文土器の写真集を手に取りました。開いてみると、あの考古館の見慣れた土器が目に飛び込んできました。薄暗い考古館の中でひっそりと自分を見つめていた土器たちを思い出しました。しばらく眺めているうち突然ある感情がわいてきました。

(この土器の意味が知りたい。)
(父に聞けば教えてもらえるかもしれない。)

 なぜなら父は土器の模様や造形の意味を研究していて、その結果を本にまとめるほど打ち込んでいたからです。

 しかし、私は父に対する反抗心をバネにして違う方向に生きてきました。今更何事もなかったような顔をして父から縄文のことを教えてもらおうとはやはり思えません。結局、私は父の難解な本を少しづつ解読しながら、考古館に出かけては幼少の頃のように土器を眺めるようになりました。

 ある日、考古館の図録を見ていたときのことです。

 まるでパズルのピースがピタっとはまるように一つの模様の意味が理解できたと思えました。すると別の模様にも意味が当てはまりそうに思えます。しかしそれをうまく整理することができません。たまたま記号学の本を読んでいたので、記号の分類にあてはめてみました。すると土器の形や模様だけでなく土偶にも様々な共通性があり、共通の意味がありそうだということがわかってきました。

 私はそのことをわかりやすく多くの人に伝えたいと思いました。小冊子にまとめてみましたが、やはりすべてをうまく伝えることができません。そこで、このサイトを運営することにしました。

武居竜生(Ryusei Takei)

縄文記号研究者

・1966年 長野県茅野市生まれ 長野県立諏訪清陵高校卒 中央大学法学部卒。
・システムインテグレーションの民間企業入社後、超LSI微細加工技術用ソフトウェア開発に参加する経験を経てCGプロダクションでの画像作成・ドキュメントライティング等を手掛ける。
・1994年 帰郷し福祉施設に勤める傍ら縄文土器の図像に記号要素があることを直感。民間考古学者であった父 武居幸重や図像研究者 田中基の土器解釈に知遇を得て記号学的に縄文土器を解析するアプローチをはじめ現在に至る。
日本記号学会員